乳がん治療の基本と変遷

乳がん治療の基本と変遷について

乳がん治療の基本とその変遷は、時代とともに科学技術や医学の進歩に伴って大きく変わってきました。これにより患者の予後は劇的に改善され、治療の選択肢も広がりました。ここでは、乳がん治療の基礎から歴史的な変遷、そして現在の主な治療方法について詳述します。

1. 乳がん治療の基本

乳がんは、乳腺組織に発生する悪性腫瘍で、世界的に女性に最も多く見られるがんの一つです。治療の基本は、がんの大きさ、広がり具合(ステージ)、細胞の種類、ホルモン受容体やHER2の発現状況など、さまざまな要因に基づいて決定されます。

1.1 外科的治療

乳がんの外科的治療は、がん組織を手術で取り除くことが主な目的です。標準的な外科的治療には、以下の2つが含まれます。

  • 乳房部分切除術(乳房温存手術):がんとその周囲の少量の健康な組織を除去し、乳房全体を残す手術です。乳房を保存することにより、術後の生活の質が向上するという利点があります。通常は術後に放射線療法を併用します。
  • 乳房全摘出術(乳房切除術):乳房全体を取り除く手術です。がんが乳房の大部分に広がっている場合や、再発のリスクが高い場合に選択されます。近年では乳房再建術と組み合わせて行うことも一般的です。

1.2 放射線療法

放射線療法は、高エネルギーの放射線を使ってがん細胞を破壊する治療法です。乳房温存手術後に再発リスクを減らすために行われることが多いです。また、局所進行がんに対しても使用され、手術後や手術が不可能な場合に適用されることもあります。放射線療法の進歩により、照射の精度が向上し、健康な組織への影響を最小限に抑えることが可能になっています。

1.3 薬物療法

薬物療法には、化学療法、ホルモン療法、分子標的療法、免疫療法の4つの主要な種類があります。

  • 化学療法:がん細胞の増殖を阻害する薬剤を使用し、術前に行う場合(術前化学療法)と術後に行う場合(術後化学療法)があります。化学療法は全身に作用するため、転移が疑われる場合や、がんが進行している場合に有効です。
  • ホルモン療法:エストロゲンやプロゲステロンといったホルモンががんの増殖を助ける場合に使用される治療法で、ホルモン受容体陽性のがんに効果があります。タモキシフェンやアロマターゼ阻害薬がよく使われます。
  • 分子標的療法:がん細胞の特定の分子を標的にして攻撃する治療法です。特にHER2陽性の乳がんに対しては、トラスツズマブ(ハーセプチン)などが効果的です。
  • 免疫療法:免疫系を活性化させてがん細胞を攻撃させる新しい治療法です。現在、免疫チェックポイント阻害剤などが乳がんの治療で用いられ始めています。

2. 乳がん治療の歴史的変遷

乳がん治療の歴史は、外科手術に端を発し、近年の分子生物学の発展により、個別化医療へと大きく進化してきました。以下にその主な変遷を概観します。

2.1 19世紀から20世紀初頭:外科的切除の時代

乳がん治療の歴史は主に外科手術に始まります。19世紀末、ウィリアム・ハルステッドによって**「根治的乳房切除術」**が導入されました。これは、乳房全体とともに、胸筋やリンパ節を広範に切除する手術です。この手術は長らく標準治療として広く行われ、乳がん治療における革命的な進展とされました。しかし、この術式は体への負担が大きく、患者の生活の質が大幅に低下するという問題点もありました。

2.2 1970年代:乳房温存療法の導入

1970年代に入ると、手術の代替法として乳房温存療法が登場しました。この治療法は、がんが限局している場合に乳房を残しながらがんを取り除くことができるため、患者のQOL(生活の質)を向上させる画期的なものでした。この時代、臨床試験が行われ、乳房温存手術と放射線療法の併用が根治的乳房切除と同等の治療成績を示すことが証明されました。この結果、乳房温存療法は急速に普及していきました。

2.3 1990年代以降:個別化治療の時代

1990年代以降、分子生物学の進歩により乳がんの個別化治療が可能になりました。特に、HER2陽性乳がんに対するトラスツズマブの登場は大きなブレークスルーとなりました。HER2は乳がん細胞の表面に過剰発現しているタンパク質で、このタンパク質を標的にする薬剤により、患者の生存率が大幅に改善されました。また、ホルモン受容体陽性の乳がんに対するホルモン療法も進化し、患者ごとのがんの特性に応じた治療が行えるようになりました。

近年では、次世代シークエンシング技術や遺伝子解析を利用した精密医療が進化しており、がんの遺伝的特性に基づいた治療戦略が組まれるようになっています。

3. 現在の乳がん治療の進展

21世紀に入ってからの乳がん治療は、分子生物学的知見に基づいた「個別化医療」の時代に突入しています。現在の乳がん治療の方向性について以下にまとめます。

3.1 免疫療法の進展

免疫療法は、患者自身の免疫系を利用してがんを攻撃する治療法です。乳がん治療においては、免疫チェックポイント阻害剤の導入が注目されています。これにより、がん細胞が免疫系の攻撃を逃れるのを防ぐことができ、従来の治療法と組み合わせることで治療効果が期待されています。トリプルネガティブ乳がん(ホルモン受容体およびHER2が陰性の乳がん)に対しては、免疫療法の効果が示されており、今後さらなる研究が進むことが期待されています。

3.2 遺伝子パネル検査の活用

遺伝子パネル検査を用いた精密医療が乳がん治療の新たな基準となりつつあります。この検査により、がんの遺伝子変異を特定し、それに応じた治療薬を選択することが可能です。例えば、BRCA1やBRCA2といった遺伝子変異を持つ患者に対しては、PARP阻害剤が有効であることが確認されています。また、リキッドバイオプシー(血液を用いたがんの遺伝子解析)も注目されており、治療効果のモニタリングや再発の早期発見に役立つ可能性があります。

3.3 ナノテクノロジーの応用

ナノテクノロジーを利用した新しい薬剤送達システムが開発されており、がん細胞に対してより効果的に薬剤を届けることができるようになっています。この技術により、副作用を抑えながらも、がん細胞に高濃度の治療薬を集中させることが可能となり、乳がん治療の効率がさらに向上することが期待されています。

3.4 治療後のフォローアップとサバイバーシップ

乳がん治療後のフォローアップやサバイバーシップ(がんを経験した人々の長期的な健康と生活の質を支援する取り組み)も重要です。がんの再発防止だけでなく、治療に伴う副作用や心理的影響に対処するための支援が強化されています。特に、治療後のホルモン療法や、患者の生活習慣の改善が、再発リスクの軽減に寄与しています。

4. まとめ

乳がん治療は、外科手術を中心に始まり、放射線療法や薬物療法の導入、さらに分子標的療法や免疫療法の進展を経て、今日の個別化医療の時代に至っています。治療法の選択は、がんの性質や患者個人の状況に応じて複雑で多岐にわたるため、医師と患者が協力して最適な治療法を見つけることが求められています。今後も、遺伝子解析や免疫療法の進展により、乳がん治療はさらに進化し、より多くの患者が治癒や長期生存を実現できる時代が来ることが期待されています。


多様な治療の組み合わせ

乳がんは、がんの中でも治療法の多いがんです。
手術が基本であることはほかのがんと同じですが、これに放射線療法や、ホルモン剤、抗がん剤、分子標的治療薬による薬物療法を組み合わせて治療を行います。
男性の前立腺がんには男性ホルモンが関係していますが、乳がんには女性ホルモンが深くかかわっています。こうした女性ホルモン依存性のがんが、乳がんの7割前後を占めています。このタイプのがんは、女性ホルモンの働きを薬によってブロックすることで、がんの勢いを止めることが可能となります。
また、分子標的治療薬は、がんの特徴的な目印に的をしぼって攻撃する薬で、HER2受容体に的を絞ったトラスツヅマブやラパチニブなどがあります。
このように、乳がんは薬物療法だけでも、ホルモン剤、抗がん剤、そして分子標的治療薬と3種類もあります。
その一方で、乳がんは割合早くから転移をする可能性があります。乳管から発生したがんが、その外側に浸潤するようになると、早くも転移の危険が出てきます。早くから血液やリンパ液の流れに乗って、がんの芽が全身をめぐっている可能性があるので、その意味で乳がんは「全身病」と呼ばれています。

そのため、手術でがんを摘出しただけでは十分とはいいきれません。そこで、こうした芽をつぶして再発や転移の危険を抑えるために、手術後はホルモン療法や化学療法(抗がん剤治療)を併用して治療を行います。つまり、乳がん治療は、手術というがんの「局所療法」と、薬物療法という全身に効果のある「全身療法」が組み合わされて成立します。手術だけで治療が終わることは、0期以外の乳がんの場合ほとんどないといっていいでしょう。
放射線療法も、乳がんにはよく効きます。放射線療法は、効果のあるがんとないがんがあるのですが、乳がんは効果のあるがんに入ります。そこで、手術でがんを摘出したあと、局所療法として放射線療法を組み合わせます。特に乳房温存療法は、放射線療法と組み合わせることではじめて完成する治療法です。
乳がん治療は、手術のあと、必要な薬物療法を継続するとともに、きちんと定期的に検査を受けて経過を観察することが大切です。

進歩する手術療法

乳がんの手術方法も、ここ20年ほどの間に日本で大きく変化しました。
わずか20年前まで、乳がんの手術といえば、胸の大胸筋と小胸筋まで切除するハルステッド法がまだあたりまえに行われていました。ハルステッド法は「定型手術」と呼ばれ、代表的な手術法のひとつでした。
これは、「がんを根こそぎ取る」「リンパ節転移があっても、取ってしまえば安心」といった考えに基づくものでした。しかし、筋肉まで切除した結果、あばら骨が浮き上がり、女性にとってはかなりつらい手術でした。

乳がん手術は1970年代~80年代に、欧米で激しい論争を伴いながら改良、縮小されていきました。まずはハルステッド法から、大胸筋だけを残す、あるいは大胸筋と小胸筋の両方を残す胸筋温存乳房切除術へ、手術法がシフトしていきました。そしてそれほど時間をおかず、乳房温存手術へのシフトが起きたのです。
そして限局した乳がんであれば、乳房をすべて切除した場合と、乳房を残して乳房を部分的に切除した場合とで治療成績に差がないことがわかりました。これを契機に、乳がん治療の考え方は大きく変わり、日本でも乳房温存手術が急速に普及していきました。

いまでは、乳がんの手術を行う場合、まず乳房温存療法が可能かどうかを考えます。それが無理ならば、胸筋温存乳房切除術を行うのが一般的です。そして日本の主要な病院では、乳がん手術の約6割が乳房温存療法によって行われています。

一方、脇の下のリンパ節(腋窩@えきか@リンパ節)郭清@かくせい@も、リンパ浮腫@ふしゅ@や炎症など、さまざまな後遺症や合併症を起こして女性を苦しませる原因となっていました。これも、いまではセンチネルリンパ節生検(○ページ参照)という検査法が開発され、それによってリンパ節を取るか取らないかを決めるようになり、転移のない患者さんはこの郭清手術の後遺症から解放されることになりました。

乳がん治療の流れ

以前は一律に乳房を切除されていた乳がんも、現在は乳房温存療法を中心に、がんの進行度や性質に合わせた治療が行われるようになっています。
ここで、おおまかに治療の流れを説明しておきましょう。基本的には、乳がんという診断がつき、手術が適応となれば、乳房温存療法が可能かどうかを検討します。場合によっては、抗がん剤を使った術前化学療法を行い、がんを小さくしてから乳房温存手術を行います。乳房温存療法の適応にならない場合には、乳房切除術が行われます。この場合、患者さんの希望と病状に基づいて、乳房再建手術を同時に行う場合もあります。
手術前にあきらかな転移があれば別ですが、転移がないようであれば、手術中、場合により手術前にセンチネルリンパ節生検を行います。センチネルリンパ節に転移がないとわかれば、腋窩リンパ節の郭清は行われず、手術は終了です。
その後、手術で摘出したがん細胞の組織を調べ、その検査結果によって、再発予防のためにホルモン療法や、抗がん剤による術後補助療法を行います。また放射線の適応のある方は通院で放射線治療を受けます。術後10年経てば、再発の可能性は少なくなりますが、乳がんは極端に進行が遅いタイプもあるため、「もう、だいじょうぶ。転移や再発の危険はもうありません」とお墨付を出すのは20年後を経ても困難です。