遺伝性乳癌卵癌巣症候群について

遺伝性乳癌卵巣癌症候群(Hereditary Breast and Ovarian Cancer syndrome: HBOC)は、遺伝的要因により乳癌や卵巣癌が発症しやすくなる症候群で、BRCA1およびBRCA2と呼ばれる遺伝子の変異が主な原因です。以下はHBOCについてのまとめです。

1. 遺伝性乳癌卵巣癌症候群とは

HBOCは、特にBRCA1とBRCA2と呼ばれる腫瘍抑制遺伝子の変異によって発生する遺伝的疾患です。これらの遺伝子は、細胞が正常に分裂しDNAの損傷を修復する働きを持っていますが、これらに変異が生じると、細胞が正常に機能しなくなり、癌が発生するリスクが高まります。HBOCは乳癌と卵巣癌の発症リスクを著しく高めるほか、膵癌や前立腺癌などの発症リスクも上昇することが知られています。

2. HBOCの原因と遺伝的背景

BRCA1およびBRCA2は、DNAの損傷を修復する役割を担っており、その異常があるとDNAのエラーが蓄積しやすく、がん細胞の形成につながります。BRCA遺伝子変異の遺伝形態は常染色体優性であり、片方の親が変異を持っている場合、子供が50%の確率で変異を受け継ぐ可能性があります。BRCA1とBRCA2に関する変異は、世界的に異なる集団間で異なる頻度で見られることが多く、特定の民族や地域においては高頻度でみられることもあります。

3. BRCA1およびBRCA2遺伝子の機能と役割

BRCA1とBRCA2は腫瘍抑制遺伝子で、細胞周期の進行を調節しDNA修復における役割を果たしています。BRCA1はDNA修復、転写調節、および細胞周期のチェックポイントを維持する役割を果たし、BRCA2は特にDNAの二本鎖切断修復に関与しています。これらの機能が正常に働かないと、細胞はDNA損傷を抱えたまま増殖し、癌のリスクが増大します。

4. HBOCに関連する癌のリスク

BRCA1およびBRCA2変異を持つ人は、乳癌および卵巣癌のリスクが大幅に上昇します。一般的な女性の乳癌発症リスクは約12%とされますが、BRCA1変異保有者では約70%、BRCA2変異保有者では約45〜60%に上昇します。また、卵巣癌に関しても、一般のリスクが1〜2%であるのに対し、BRCA1変異保有者は40%、BRCA2変異保有者は15〜20%とされます。さらに、男性もBRCA変異により前立腺癌や乳癌のリスクが上昇する可能性があります。

5. HBOCの診断と遺伝子検査

HBOCの診断には、家族歴の確認と遺伝子検査が重要です。特に若年での乳癌や卵巣癌の発症、家族内での複数の乳癌および卵巣癌症例がみられる場合、遺伝子検査が推奨されます。遺伝子検査では、血液や唾液からDNAサンプルを採取し、BRCA1およびBRCA2の変異の有無を調べます。日本では、遺伝子検査は医師の指示のもとで行われ、保険適用もありますが、カウンセリングを受けたうえで検査を受けることが推奨されています。

6. 遺伝子変異陽性者への管理と治療

HBOCでBRCA変異が確認された場合、発癌リスク管理として以下の方法が考慮されます。

a. 定期的なスクリーニング

BRCA変異保有者は乳癌や卵巣癌の早期発見を目的として、定期的な乳房検査や画像診断(MRIやマンモグラフィー)を行うことが推奨されます。また、卵巣癌リスクのある女性に対しては、経膣超音波検査や腫瘍マーカー(CA-125)を用いたスクリーニングが実施されることがあります。

b. 予防的手術

乳房や卵巣の予防的切除(リスク低減手術)も選択肢の一つです。乳房切除は、乳癌発症リスクを90%以上減少させるとされています。卵巣摘出手術(卵管卵巣摘除術)は、卵巣癌および卵管癌のリスクを大幅に低減させる効果があり、閉経前に行う場合には乳癌のリスクも低減できるとされています。

c. 化学予防

タモキシフェンやラロキシフェンといった抗エストロゲン薬を使用することで、乳癌リスクを低減させる試みもあります。しかし、化学予防薬の効果には個人差があるため、遺伝カウンセリングを通じたリスク評価と相談が不可欠です。

7. HBOCにおける心理的支援とカウンセリング

HBOCと診断された場合、患者やその家族には心理的なサポートが重要です。遺伝性疾患に対する不安や、予防的手術に対する心理的負担が大きいため、心理カウンセリングが提供されることが推奨されています。また、家族への遺伝情報の共有についても配慮が必要で、遺伝カウンセラーがサポートすることで、家族全体のリスク管理が可能となります。

8. 最新の治療と研究動向(リンクあり)

近年では、BRCA変異をターゲットとした治療法の研究が進んでおり、特にPARP阻害薬が注目されています。PARP阻害薬は、BRCA変異細胞のDNA修復機能の欠損を利用して癌細胞を選択的に攻撃する治療法で、乳癌や卵巣癌の治療において良好な結果が報告されています。また、免疫療法や他の分子標的治療の可能性も検討されており、今後のHBOCに対する治療オプションが広がることが期待されています。

9. HBOCと社会的影響

HBOCに関連する遺伝子検査や予防的治療の普及に伴い、社会的な課題も浮き彫りになっています。特に、保険制度の充実や遺伝情報のプライバシー保護が重要な課題です。また、遺伝性疾患に対する正しい知識の普及と偏見の解消が求められており、教育や啓発活動が推進されています。

10. まとめ

遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)は、BRCA1およびBRCA2遺伝子変異によって乳癌や卵巣癌のリスクが高まる疾患です。診断には遺伝子検査が用いられ、定期的なスクリーニング、予防的手術、化学予防といったリスク低減手段が提供されています。また、遺伝カウンセリングや心理的支援も不可欠で、患者や家族の心身のケアが重要です。最新の研究により、PARP阻害薬をはじめとする治療法が進展しつつあり、HBOC患者に対する治療の選択肢が広がりつつあります。