がんサポート 2011年7月号
遺伝子を調べて合理的な乳がん個別化治療を
効果的な術後補助療法を行うための遺伝子検査法
乳がん患者さんにとって、再発リスクを防ぐ術後補助療法は、その副作用を考えれば効果的に行いたい。そこで、乳がんの増殖や浸潤に関係する遺伝子を調べることで、予後と治療効果を予測しようという遺伝子検査の動向を追ってみた。
監修●川端英孝
個別化治療が進む乳がん治療
がんの治療では、手術で取り切れない微小な転移をたたく術後補助療法が重要です。乳がんは、浸潤がんの場合、画像検査で発見できない微小な転移の可能性を考えて、全身的な薬物療法を通常行います。
「手術や放射線治療を行った後にがんが再発するかどうかの確率は、腫瘍の大きさやリンパ節転移数などのがんの進行度とがんの性質とである程度予測できます。目の前の患者さんが、この人は2割程度再発するとか、4割程度再発するとかいうのがわかるのです。これをベースラインリスクといいますが、もともと4割再発すると予測される人がいて、その人に対して再発率を半分にできる薬物療法があればそれを行い、絶対値として20パーセントの方の命を救えるという考え方をしていきます。どういう条件の人にどういう治療を行えばどの程度効果があるのかがわかってきました。ですから、再発の危険性のある人には、抗がん剤、ホルモン療法、分子標的治療などから有効な治療法を選択して行うのです」
そう話すのは、虎の門病院乳腺内分泌外科部長の川端英孝さん。
個々の乳がんが各種バイオマーカーや遺伝子の発現状況によってサブタイプに分類され、再発のリスクと治療効果が予測できるようになってきたため、乳がんは、他のがんと比べて患者ごとに適した個別化治療が進んでいます。
「一般の人は、がんというと、まずは早期がんかどうかというがんの進行度だけを重視して病気の位置付けを理解しようとする傾向が強いと思われます。しかし、乳がんを考える上では、2つの座標軸をまず理解することが重要です。1つは病気の進行度という座標軸、もう1つはがんの性質という座標軸です。この2つの掛け合わせで個人の病気の位置付けを理解することが大切なのです」(川端さん)
5つに分けられる乳がんの性質
ホルモン受容体とHER2受容体のプラスマイナスの組み合わせで2x2の4つに分類し、ホルモン受容体陽性、HER2受容体陰性のタイプをさらに増殖能の高低で2つに分類することで、乳がんを5つのタイプに分類することが今の基本的な考え方になっています(図1)。2011年3月のザンクトガレン会議でも、この5つの分類が明確に支持されました。ホルモン受容体[(ER(エストロゲン)、PR(プロゲステロン)]陽性、HER2受容体陰性で低増殖能のルミナールA、同じパターンで高増殖能のルミナールB(HER2陰性)、ホルモン受容体(ER、PR)陽性でHER2受容体陽性のルミナールB(HER2陽性)、ホルモン受容体(ER、PR)陰性でHER2受容体陽性のHER2タイプ、ホルモン受容体(ER、PR)陰性でHER2受容体陰性のトリプルネガティブの5つのサブタイプに分けられ、ホルモン受容体陽性ならホルモン治療が、HER2受容体陽性ならハーセプチンという分子標的治療が、そしてがんの増殖能の高い場合には抗がん剤治療が選択され、実際にはこれらの選択肢を組み合わせて治療が行われます。
ホルモン受容体が陽性で、HER2受容体が陰性のタイプは全体の約60%を占め、この中で、典型的なルミナールAはホルモン療法のみ、典型的なルミナールBはホルモン療法+抗がん剤を行いましょうというのが治療の基本になっています。しかしがんの増殖能が高いかどうかの区別は意外に難しく、結果として多くの患者さんがホルモン療法に加えて毒性の強い抗がん剤をやるかどうかで悩むことになっているのです。
「無駄な治療をやめて必要な人にだけに毒性の強い治療をするというのは、必然の流れです。バイオマーカーを使って、治療前の段階での選別が研究され、その流れの中で登場したのが遺伝子検査です」(川端さん)
そして、そのなかでもここ数年脚光を浴びているのが、オンコタイプDXとマンマプリントという検査法なのです。
ガイドラインに明記されるオンコタイプDX
オンコタイプDXという検査は、アメリカで開発されました(図2)。米国臨床腫瘍学会(ASCO)や、全米がん情報ネットワーク(NCCN)の乳がん治療ガイドラインに、術後の化学療法の効果予測をする検査として掲載されているもので、2008年の1年間に、50カ国で5万人以上の人がこの検査を受けています。
乳がんの再発に関連する21種類の遺伝子(16種類のがん関連遺伝子+5種類の対照遺伝子)について調べ、患者1人ひとりの再発の可能性と術後化学療法の治療効果を予測するものです(図3)。検査の対象となるのは、当初はホルモン受容体陽性の浸潤性の乳がんで、リンパ節転移がないことが条件でしたが、現在はリンパ節転移があっても閉経後であれば検査対象になります。検査はマンモトーム(乳房内の組織を針を刺して吸引する生検)検体もしくは手術検体を用い、乳がん組織の中の遺伝子を調べ、トータル3週間程度で結果が判明します。
検査結果は、再発のリスクを0から100の数値で表し、低リスク(18 未満)、中間リスク(18~30)、高リスク(31以上)に分類されます。この数値により、高リスク群についてはホルモン療法に化学療法を加えると上乗せ効果が出ますが、低リスクでは効果がほとんどないことがわかっています。とてもシンプルで患者負担も少ない検査なのですが、検査費用が45万円(+消費税)と高額で、保険は適用されません。
FDAの承認を得ている検査マンマプリント
一方のマンマプリントは、オランダで開発された検査法で、2007年には米国医薬品局(FDA)の承認を得ています(図5)。こちらは70種類の遺伝子を調べ、1度に2万5千の遺伝子発現を検出するDNAマイクロアレイという技術により、その発現パターンから再発のリスクと、術後補助療法の治療効果について予測します。
検査の適応は、浸潤性乳がん、60歳以下、がんの進行度がステージ1もしくは2、腫瘍が5センチメートル以下、リンパ節転移が3個以内、術前化学療法・ホルモン治療を行っていないなどです。
検査は、マンモトーム、もしくは手術検体を用い、約2週間で検査結果が出ます。しかしながらオンコタイプDXと異なり、凍結検体が必要で、通常のホルマリン固定された検体からは検査できません。結果は、高リスクと低リスクに分類され、予後不良(5年以内の遠隔転移のリスクが高い)と予後良好に、クリアに分けられます。こちらも検査費用は38万円(+消費税)と高額で、同様に保険適用はありません。
「高額な検査ですが、再発のリスクや薬の有効性を事前に把握して、もし不必要であれば、抗がん剤治療を安心して回避できるので、患者さんにとっては大きなメリットになります」(川端さん)
既存のぶれの大きい病理検査に比べると遺伝子検査は再現性が高く、明確な数値によって治療効果予測が提示できることになったのです。
「たとえば、オンコタイプDXの場合、スコア13点の低リスクの人にホルモン療法を行うと10年間再発しない率は92パーセントで、抗がん剤を投与してもその割合は変わりません。これが、スコア35点の高リスクの人の場合は抗がん剤治療を行うことによって、再発率が30パーセントのところが20パーセントに低下するといったように説明することができます」(川端さん)
また、遺伝子検査によって、ホルモン受容体、HER2受容体の有無をダブルチェックできることもメリットの一つです。
オンコタイプDXやマンマプリントは、過去の臨床試験の検体を使い構築された検査法で、さらに別の臨床試験の検体を用い検査が本当に機能しているのかどうかを検証したことが重要だ、と川端さんは話します。後ろ向きの研究という限界はあるものの、きちんとした裏付けのとれた検査法というわけです。
高額な検査費用が普及を阻む
しかし、現状として、我が国では、オンコタイプDX、マンマプリントのいずれも、まだまだ普及していません。先述したように、検査代が高価であることが1番の理由でしょう。普及の9割以上がオンコタイプDXですが、年間販売推計は200~300件といわれ、検査実施率の高い虎の門病院でも、昨年度で40件程度とのことです。
「検査代が高価なこともあり、検査の勧め方には配慮が必要ですが、グレーゾーンに該当する患者さんには、できるだけ情報提供するようにしています」(川端さん)
保険が適用となっているアメリカでは、普及度は高く、ある有名病院のオンラインセカンドオピニオンコーナーでは、3年くらい前から、まずオンコタイプDXの数値がわかっていることが議論の前提になっているようです。
進行中の臨床試験の結果が普及へのカギ
今後、我が国におけるオンコタイプDXの普及に向けて期待されているのが、TAILORxという臨床試験です。アメリカの国立癌研究所が出資し、同研究所主導のすべての乳がんの臨床試験群が参加している大規模な試験です。1万人以上の患者を対象に、再発スコア26以上の人にはホルモン療法に加えて全員に抗がん剤を投与し、スコア11未満の人は全員抗がん剤を投与しません。またスコアが11から25の人は無作為に、抗がん剤投与をする群としない群に振り分けて、その結果を検証するという試験です。この試験は患者登録がすでに終了し、結果待ちの状況です。マンマプリントも同様にMINDACT試験が進行中で、これらの試験で検査の信頼性がさらに確認されれば、普及に拍車がかかると思われます。
これらの試験を初め、最新の臨床試験では参加患者さんの検体が中央で管理されており、画期的な新しい検査法が出現すれば、迅速にその効果が確認できるプラットフォーム(組織銀行)が整備されています。このような研究体制の整備により、乳がんの個別化治療がさらに進歩していくことは間違いなさそうです。
オンコタイプDXやマンマプリントをはじめとする遺伝子検査は、非常に有望な検査ではあるものの、あくまでも診断から治療の流れのなかでの1つのオプションであることを認識すべきだと川端さんは話します。
「オンコタイプDXやマンマプリントを一点豪華主義のような形で行うことはあまり意味のないことで、診断、手術、術後療法にいたるまで、迅速かつ的確に医療を遂行できる地道な体制作りが最も重要であることは変わりません。さらに精度の高い臨床試験を通じた研究のプラットフォームの構築が結局患者さんの利益に最もつながる」
川端さんは、そう強調していました。
*浸潤=がん細胞が周辺にしみこむように広がること
*受容体=生物の体にあって、外界や体内からの刺激を受け取り、情報として利用できるように変換する仕組みを持った構造のこと
*エストロゲン=卵巣・副腎皮質などでつくられ、乳線や子宮の発達を促進させる女性ホルモン。乳がん細胞の増殖を促進する
*プロゲステロン=卵巣の黄体から分泌する女性ホルモン。子宮を妊娠の準備を促す。プロゲステロン受容体と結合し、乳がん細胞の増殖に関わる
*ハーセプチン=一般名トラスツズマブ
図1 乳がんのタイプ別分類
ホルモン受容体陽性
ホルモン受容体陰性
HER2陰性
(低増殖能)
ルミナールA
<ホルモン療法>
トリプルネガティブ
<化学療法>
(高増殖能)
ルミナールB(HER2陰性)
<ホルモン療法+化学療法>
HER2陽性
ルミナールB(HER2陽性)
<ホルモン療法+化学療法+分子標的療法>
HER2タイプ
<化学療法+分子標的療法>
図2 オンコタイプDXの検査標本
図3 21種類の遺伝子
図4 21遺伝子の活性から再発スコアの有用性を検証した結果
図5 70種類の遺伝子を調べるマンマプリント